平安時代の始めに、天皇の勅願によって創建された寺で、何度かの火災を経て、現在は裾の方に位置していますが、もともとは山の中腹にあったそうです。想像するに、その山はもともと荒神信仰の対象であったのではないでしょうか。山岳信仰は仏教伝来以前からありますし、やはり、民間に仏教を根付かせようとするならば、もともとあった信仰と並列した方が分かりやすいでしょうからね。全く私の想像ですけど。
このあたりの話を追求すると、明治時代の国家神道から廃仏毀釈という面倒な話題まで扱わなければならなくなるのでパスしますが、要するに、土着の信仰が息づいているところに、このお寺の生活感に溢れたパワフルさがあるのではないか、と思うわけです。
ちなみに荒神というのは火の神、かまどの神のことです。ここではその神様にあやかって、厄除けのための火箸が納められています(LINK)。「火箸で厄をつまみ出してもらう」ということのようです。なるほど。
私が訪れたのは、写真にもあるように、ちょうど紅葉の綺麗な時期でした。活気があるとは言っても、やはり特有のぴりっとした空気もあって、それに気温も低いですから、特に宗教心がなくても、どこか凛とした気持ちになります。
こういうお寺はわりと好きです。参道のお店を見て歩くのも楽しいし。
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