「寺内町」と名前のついている町は、一向宗寺院を中心として形成されていることを示しています。ここ富田林では興正寺別院がそれにあたり、1558年(永禄元年)に証秀上人が土地を購入し、近在の庄屋8人に興正寺別院の建立、畑、屋敷、町割の建設を依頼したことで、その歴史が始まります。
寺内町が大きく反映するのは自治権が認められるなどの特権があるためですが、17世紀の始め1608年(慶長13年)の検地の際には「諸公事免許証文」が紛失していたためにそのような特権は失われます。そのせいで興正寺別院も衰退してしまいます(お寺自体は17世紀半ばには再興されます)。
とはいえ、その頃には石川の水運が利用でき、街道の交差地点にもあたることもあって、商人の町として発展するようになっていたようです。主な業種である酒造(6軒もあった)は18世紀初頭にはピークを迎え、このあたりは河内木綿と菜種の産地であることから、これらに関連した商いも盛んであったそうです。
前述のように、もともと近在の村から人を集めて成立しているため、町の外では農業をし、町内では商売をするという「半農半商」として栄えた家が多いのです。ですから、戦後の農地解放によって「半農」の部分がダメになってしまったことによって、この町の繁栄を支えた基盤は瓦解してしまいました。そして今では、それを伝える美しい町並みのみが残っています。
古い町並みが綺麗に残っているところは、こういう経緯をたどることが多いようです。
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